水みたい、というのが彼女の第一印象だった。

一瞬しかいなかった二軍で色々と取り仕切っているマネージャー。それが黒子だと紹介された。

帝光中バスケ部は部員数が百人を超えるせいでマネージャーの数も多く必要となる。一軍のマネージャーともなるとレギュラーたちの話す機会も多く目立つものだが、二軍や三軍にいるマネージャーは華やかな舞台になど縁がない。試合の観戦すら出来ないことが多いので、必然的に辞めていく生徒も多い。

女子にとってバスケ部員が彼氏というのは一種のステータスのようなものらしく、一軍のマネージャーとなると浮ついた気持ちでは勤まるものではないというのに妙な嫉妬をされるのが日常茶飯事らしい。桃井のように飛びぬけてスタイルが良い上にスタメンである青峰が幼馴染という特殊なスペックの持ち主は限られているが、ある程度マネージャーというのは綺麗だったり可愛い子が揃っているものだった。

それなのに、ものすっごく地味。

無味無臭、透明だけれど何も残らない。

黄瀬が抱いた黒子への第一印象は本当につまらないものだった。

華奢さと色の白さから、本当にマネージャーなんか出来るのかと心配になるようなそんな少女でしかない。

二軍や三軍の部員に雑用が多いのは、地味で目立たない作業ばかりを黙々とこなすマネージャーがいないから、という事情もある。二軍や三軍の部員は自分たちでナンバリングを洗濯するのはもちろん、練習試合でもマネージャーがやるのはせいぜいスコアをつけるくらいのことで学年が下の部員がタオルやドリンクの用意をするのは当然だという。黄瀬は在籍していた時間が短すぎた上にバスケは未経験なので、細かいルールや雑用をよく知らない。

だから学べ、と言われるのはまだ理解出来る。

だがどうして、二軍についているマネージャーに教わらなくてはいけないのだろうか。

青峰が説明だとかに向いていない性格なのは今までの短い期間でもよくわかったが、桃井だとかちょっと口うるさいけど緑間だとか他に適任がいそうなものなのによく知らない相手を紹介されるとは思わなかった。

黒子は二軍以下のマネージャーで唯一、一年生の頃からずっとマネージャーをしているという。教育係に、と言い出したのは赤司らしいがさすがに彼に文句を言う気にはなれないが納得も出来ないままだ。

これが黒子、と認識してすぐに視界から消えてしまった少女に恋するだなんて黄瀬は思いもしなかった。














「そういうわけなので、申し訳ありませんが練習試合の準備を黄瀬君も手伝っていただけますか?」

二軍の練習試合へ同行するようにと命じられたのは黄瀬と青峰だ。二軍への同行なんて面倒なこと青峰は断るだろうと思ったのに快諾したのは驚きだった。何か良いことでもあるのかと思ったが、どうも引き受けた理由は控えめにいってもやっぱり影の薄い目立たない少女にあるとしか思えない。

テツ、と用もないのに名前を呼んでは少女にじゃれつく青峰はまるでドーベルマンか土佐犬のようである。はいはい、と黒子は青峰に笑顔を向けつつもてきぱきと練習試合の準備や用意するべきものを二軍の部員たちに指示している。

黒子はとても影が薄くてようやく目についても印象が儚すぎる。目鼻立ちは整っているから忘れるような顔ではないけれど、一軍にいるマネージャーと比べて控えめであることは否めない。その上少年かと思うほど華奢な体格だ。

胸がない。黄瀬の黒子への第二印象はそれだった。

青峰っち巨乳好きって言ってたよな、と思わず首をかしげてしまうほどには黒子はよく言えばスレンダーでモデル体型、悪く言えばやせ過ぎであった。

「黄瀬君は練習試合に出るのは初めてですよね?」

「そうッスけど、試合に出るのに何を手伝えばいいんスか?」

「手伝うというか、黄瀬君はレギュラーなので本当は必要ないとは思うのですが試合の時に持っていくものだとかを覚えておいて欲しいんです。普段、練習で使わないものもあるので」

二軍の備品が置いてあるという備品庫へと案内される。練習でよく見かけたナンバリングが棚に綺麗に畳まれて置いてある他にも何故か白や青や赤でペイントされた色鮮やかなバスケットボールだとか、巨大なネズミ捕りのようなものがある。

「何スか、これ」

「試合球です。使うことはないんですけど、持っていくので。あとそれは、ホコリ取りみたいなものです。バッシュが滑らないように試合前に踏んでください」

「練習のときは雑巾ッスよね」

「はい。でも試合のときはこっちです」

「そんなの二軍のやつらにやらせりゃいいだろ。テツ、暇ならちょっと相手しろよ」

「無理です。今、暇しているように見えますか?」

「どうせ黄瀬はこれから試合に出まくるんだから嫌でも覚えるだろ。つーか、今度の練習試合、テツは出ないのかよ」

「僕が参加したら怒られてしまいますよ」

「髪伸ばしてるからバレるか」

「はい」

青峰とは知り合いらしく、二人の会話はぽんぽんと弾んでいる。

「青峰っち、黒子さんって女子マネなのに参加するんスか?」

練習試合といえども、女子でこんなに華奢な子がコートに立つなんて冗談だとしか思えない。青峰にからかわれているのだろうかと黄瀬は驚きながらも口を挟む。

「あー、こいつ廃部になった女バスにいたんだよ。自主練の時間はボール触っていいって約束で赤司がマネージャーにしたからな」

「そういえばうちの学校、女バスないッスよね」

男子バスケ部は有名だけれど女子バスケ部が存在しないというのは珍しいことらしい。確かに一人くらいはバスケをしたい女子がいたとしても不思議ではないけれど、バスケどころか黒子の体格はスポーツに向いているとは思えない。

「また短くして練習試合出ればいいのに。つまんねえの」

青峰の指先がうなじを隠している黒子の髪に触れる。彼の指は日に焼けた色だからか余計に真っ白な少女の肌が艶かしく見えてしまって思わずどきりとする。

仕事柄、黄瀬は女性の肌の露出には慣れているし絡んだことだってある。色々とつまらなくて仕方がなかった時期には適当に遊んだりもしたけれど、色気のない子どもみたいな体型の少女相手に思わず欲を感じるなんて初めてのことだ。

「黒子さんってバスケ強いんスか?」

とてもそうは見えないけれど、という自分の感想はどうにか喉の奥に押し込める。青峰は黄瀬の疑問になど気づいていないらしく、楽しそうに黒子の髪を指に巻きつけて遊んでいる。さらさらと流れてしまう黒子の癖のない色素の薄い髪は綺麗なもので、痛むようなことをしていないのだろうなと仕事のことを思い出す。

こういう水のような、印象に残りづらいのに綺麗な子は珍しい。だから青峰が惹かれているのだろうか、とほんの少しだけ興味が湧く。

「いや。けどこいつのパスは的確だぜ。マネージャーって辞めるやつ多いから一年の時にさつきが目をつけて赤司が引っ張ったんだよ」

「へぇ。で、俺は何を手伝えばいいんスか?」

「今回は相手の学校に行くので、挨拶の時とかついてきてもらえますか? どうしても僕が一人で行くと気づいてもらえなかったり驚かせてしまうんです」

「それくらいは全然いいッスけど」

「あと、赤司君と桃井さんからスコアのつけ方を覚えてもらうように言われているので、試合に出るまでは勉強してください。僕がスコアをつけるので見ているだけでいいんですけど」

ちらりと黒子は青峰を見る。

「青峰君も、いい加減覚えてくださいね」

「なんとなくは出来るからいいんだよ。理解できればいいんだろあんなもん」

「正確につけないとデータを取る意味がなくなります。桃井さんを何度怒らせれば気が済むんですか」

「さつきが得意なことは俺がやる意味ないって」

「なんかよくわかんないんスけど、面倒なものッスか?」

「いえ、簡単です。というか、地味な作業です。試合を見るのに夢中になりすぎるとスコアをつけ忘れてしまいますけど。青峰君、くすぐったいです」

さきほどからずっと青峰は黒子の髪をいじっている。耳にかけてみたり髪をかきわけてうなじに触れたり、身長差がかなりあるのに器用なことだ。

もっと女として魅力的な体型である桃井がそばにいるときは触れようとしないし、他の女子マネージャーとは事務的な会話しかしないのが嘘のようだ。

青峰の好みがわからない、とわりと本気で黄瀬は思う。グラビアが部室に放置されていたときは紫原と青峰が胸は大きければ大きいほどいいと夢を語っていたのに現実で気にかけている少女は柔らかさが全くなさそうにしか見えない。

肌は白くて、痕をつけてみたくはなるけれど。抱いたら泣いてしまいそうな、そんな儚い子なのに。

「テツ、お前また縮んだんじゃねえの」

「伸びてます。青峰君はもっと成長してるからそう感じるだけですよ」

「お前はもっと食えよ。だから伸びねえんだぜ」

「伸びてるって言ってるでしょう」

きっと黒子が青峰を睨み上げると、嬉しそうに青峰は笑っている。

これは完全にアレだ。小学生男子のような。

バスケではあんなに他者を寄せ付けない圧倒的なプレイをするというのに、青峰は信じられないほど子どもな一面があるらしい。

女の子なんてみんな同じようなものだ。黄瀬の顔を見て擦り寄ってくる子も、故意によそよそしく振舞う子も根本の部分は変わらない。

きっとこの黒子とかいう清楚で儚く見える子だって腹の中では青峰に触れられていることを嬉しく思っているのだろう。

馬鹿馬鹿しい。

そもそも、赤司が引き抜いたというほど優秀なら二軍のマネージャーなんてしていないで一軍にいるべきだ。桃井のように情報収集に優れているとか他のマネージャーのように異常なほど料理が上手く栄養バランスの計算が出来るとか、特殊な力がないと一軍マネージャーには選ばれない。つまり黒子はただ都合良く扱われていて、少しバスケが出来るだけの少女なのだろう。

青峰がそんなつまらない少女に気を許しているなんて、少しがっかりしてしまう。

「今日の試合の相手ってどんな学校なんスか?」

「それなりに強いですよ」

「そうだっけ?」

「去年地区大会で当たってます。覚えてないんですか?」

黒子の言葉に青峰は首を傾げる。

「印象に残るようなやついなかったからな」

「桃井さんの話では、相当根にもたれているみたいですよ。去年、青峰君たち一年生四人にトリプルスコアですからね」

「あー、そういや地区大会の最初の頃って俺ら全員出されたんだったな」

「俺にもわかるように話して欲しいッス」

話の見えなさに若干イライラしながら口を挟むと、すいません、と黒子が黄瀬を見上げる。何を考えているのかわからない瞳は他の女の子のように媚を隠すこともなければ警戒しているようにも見えない。

黄瀬を真っ直ぐに見る瞳に、このせいで水みたいな印象を抱くのか、と気づく。髪と同じ少し薄い色の瞳。感情がわからないのに無機質ではない、不思議と静かな印象を抱かせる。

「一年生が四人試合に出るというのは、普通は余裕で勝てる相手という意味になります。向こうは三年生のベストメンバーで挑むのに、まだ小学校を卒業して半年程度ですからね。赤司君以外は入学当初から身体が大きい方でしたけど、それでも去年は今よりまだ小さかったので相手からみれば相当舐められていると感じたはずです」

「余裕で勝ったけどな。俺と緑間、途中で下げられたんじゃなかったか?」

「桃井さんのデータでは、第2クォーターで緑間君と青峰君を、第三クォーターの途中で紫原君を下げて、最後は二軍に総入れ替えしたそうです」

「それは恨まれてそうッスね」

「はい。今回わざわざ二軍と試合をしたいと申し込んできたそうですから」

「嫌な感じだな」

めんどくせぇ、と呟いた青峰の意見に黄瀬も全面的に賛成だ。しかし練習試合だろうが二軍だろうが三軍だろうが、とにかく負けることなど帝光中にはあり得ない。

「怪我をしないように気をつけてくださいね、二人共」

黒子の言葉がすぐに現実になるとはさすがにこの時は思わなかった。スポーツでのことなのだから、恨んでいるといっても爽やかなものだろうと黄瀬は楽観していたし青峰も同じだろう。

時間を重ねるほどに圧倒的すぎる強さが何を相手に残すのかなんて考えたこともなかったのだから。












相手の学校の顧問も監督もいないと知らされ、何かがおかしいと感じるのに時間はかからなかった。

だが練習試合を引き受けた以上、試合をせずに帰るわけにはいかない。相手となる選手はいるのだし、試合の準備は既に整っていた。ストレッチやランニングをこなしてウォームアップを済ませると、軽く汗をかいたけれど出番がないかもしれないと思うとなかなか集中し切れない。

帝光中の顧問はただの引率の教師なので、実質の指示は黒子が事前に預かってきているという。二軍のスタメンである五人がコートに並び、試合が始まると黄瀬の横で黒子は黙々とスコアをつけていたけれどすぐに作業は中断されることになる。

ピ、とホイッスルの音がする。ファウルをしたのは相手選手だが故意にさえ見えたそれにはフリースローは与えられない。

「……嫌な感じですね」

相手選手の肘が当たったらしく、床に蹲ったまま立ち上がれない二軍の部員を見て黒子が小さく呟く。

「あれってワザとなんじゃないスか?」

「そうだとしても、審判に文句を言えるような状況ではありません。審判が見ていなければ悪質なファウルとは言えませんから」

黒子が椅子から立ち上がり、二軍の選手を呼んでスコアを渡す。

「黄瀬君、つけ方は先輩に教えてもらってください。僕は怪我の様子を見るので」

二軍にいる三年生の男にスコアのつけ方を教えてもらいたいとは全く思わない。青峰は難しい顔をして腕を組んだままコートから視線を逸らさないし、仕方なくよろしくと頭を下げる。

交代することになった選手はよほど痛かったのか若干涙ぐんでいる。休んでいればよくなるだろうが気の毒だな、と黄瀬は他人事のように思った。

しかし試合展開は見ているのが嫌になるほど陰湿で、根に持たれているなんていうレベルではない気がする。

点差が開いて第三クォーターに入ると、二軍の怪我人は増えていた。無茶なプレイをしてもホイッスルが鳴ることはほとんどなく、これは違う意味で恨まれているのではないかと思うほどだ。

「黄瀬君、交代で入ってください」

さすがに十八点も差をつけられては一軍を入れないわけにはいかないということだろうが、正直あんなラフプレイをされるとわかっていて交代したいとは思わない。

「ちなみに負けたらどうなるんですか」

「黄瀬君も青峰君も二軍になります」

「……それは嫌ッス」

「最悪の場合は僕も手伝いますから。そうしろと赤司君に言われているので」

「手伝うって?」

「交代です、早く入ってください」

黄瀬の疑問に答えることなく黒子はコートへ行けと強く黄瀬を見上げる。最悪の場合って手伝うのは青峰なのでは、と思ったのだが聞いている余裕はないらしい。

コートに立ってみると思った以上にラフプレイを仕掛けられて、見えないところでユニフォームを引っ張られたり足を踏まれるのは当然らしい。ゴール下の争いは接触がつきものではあるが、いささか激しすぎるな、と何度かどつかれて黄瀬はイライラを募らせる。点差は少ししか縮まらないし、このままでは本当に負けてしまいかねない。

二軍の選手は当たりがキツイ中で精いっぱい頑張っているのだが、審判がそもそも相手に有利すぎるのだ。圧倒的な実力でゴールを奪わなければ覆すのが難しい点差だし、3Pを狙ったところでボールどころか黄瀬自身を叩き落す勢いで体当たりを仕掛けられてしまったので3Pはやりたくない。

第三クォーターが終わっても点差は十四点もあり、ぶつかるのを回避したりと余計な体力を使わされて疲労が激しい。顔を狙うのはやめろよ、と仕事のことを思い出しつつ肘を振り回す相手選手を蹴り倒してやりたくなる。

「青峰君、入ってください。ただし、接触は絶対に避けるようにと赤司君からの伝言です。恨まれてます、絶対」

伝言がなくてもこの状況で恨まれていないと思うような能天気な人間がいるわけがない。黒子は鈍いのではないか、と顔を上げると何故か彼女は髪を結んでいた。上下ジャージだったはずなのに、いつのまにか脱いだのかハーフパンツに上はユニフォームだがサイズはSより小さく見える。

「えっと、何してるんスか」

「最悪の場合は入るように言われているので、入ります。練習試合ですから」

「やっぱりお前、背伸びてないよな。縮んでるって」

「縮んでません!」

ユニフォームになると二の腕や鎖骨まで見えてしまっていっそう細さが心配になる。インナーを着ているので際どい部分が見えることはないが、正直胸が全くないのでこれならぱっと見れば男子だと判断出来るレベルだろう。

「黒子さんって女子ッスよね?」

「一応そうです。苦情は赤司君にお願いします」

「テツが出るの久しぶりじゃねーの? ってか出ないって言ってたよな」

「ええ、最近は出ろとは言われてませんでしたから。そもそも公式戦に僕がいるわけないでしょう? 交代の手続きしてきます」

くるりと黒子は背中を向けると、両チームとの間にいる審判係の相手校の生徒に交代を告げにいってしまう。

「青峰っち、いくらなんでも嘘ッスよね?」

「何がだよ」

「黒子さん、確かに男に見えなくもないッスけどあんな当たりキツいのに入ったら怪我するッスよ」

「あー、あいつ存在感ないから平気。俺とテツだけでもぎりぎりイケそうだけど、マジで当たりキツいからな。黄瀬、ボールに集中しろよ」

「青峰っち俺の話聞いてないッスよね」

「聞いてるって。点差つけたらテツは下げる。あいつ軽いからぶっとばされたら困るしな」

「だから、そもそもなんで試合に出るんスか」

「やればわかるって」

説明するのが面倒だ、というように青峰は黄瀬に告げるが全く納得なんて出来るわけがない。

しかし、青峰の言った意味を黄瀬はすぐに理解することになった。

第四クォーターが始まってすぐにボールを奪い、あり得ないほどの速さと的確さでパスが飛んでくる。先ほどまでボールを運ぶことにあれだけ苦労していたのが嘘のようにスムーズに試合が流れ始め、青峰と黄瀬を中心に得点を重ねるとあっという間に点差が縮められていく。

うっかりしているとすぐにどこにいるかわからなくなるのに、黒子は的確にボールを中継している。パスとさえいえないほどの速さのそれは初めて経験するものだけれどもどかしさが一切なく、自分の意識の上にボールが現れるとすぐに身体が反応する。

青峰との連携はもっと鋭くて、気づけば逆転して六点の差がついた。

残り時間を四分残して黒子が二軍の選手と交代して退場しても、一度ついた勢いは消えることなくあっさり練習試合に勝利することが出来てしまった。

「テツ、大丈夫か?」

試合が終わるとベンチに座ったままと黒子の元へと青峰はさっさと近づいていく。

こくりと頷くものの、さすがに小さな身体にとってあの運動量は多かったのかまだ黒子は肩で呼吸をしている状態だ。

強引に顧問を矢面に立たせて練習試合の挨拶を終え、足早に相手の学校を後にする。マネージャーか一番下っ端の後輩にしか見えなかったはずの黒子が試合に出たというのに苦情が出ることはなかった。あれだけ卑怯なことを仕掛けて負けたのだから当然といえば当然だろう。

帰り道、後味の悪い練習試合に二軍の選手たちが様々な感想を口にするのが後ろから聞こえてくる。ぞろぞろと並んで歩く先頭にいるのは黒子と青峰で、当たり前のように青峰は黒子の荷物を持っていた。

ふと思い立って二人に追いついて並んで歩いてみる。

やはり黒子の歩調は遅く、青峰がわざわざゆっくり歩いているのだ。

子どもみたいな好意だと思っていたけれど、青峰の黒子への感情は間違いなく恋慕なのだろう。

「黒子っち、すごいッスね。マネージャーにしとくのが勿体無いッス」

「……僕の性別は君たちとは違いますよ?」

「わかってるッスよ!」

「そうですか」

「あんなすげーパスとか勿体無いッスよ、マジで」

「ありがとうございます」

「食って体力つければ練習試合くらいまだ出れるだろ」

「食べてますよ。一年生の頃ならともかく、成長期が来た君達と一緒にして欲しくないです」

はぁ、と黒子はため息をつく。

「疲れました……」

「食ってねえからだろ」

青峰の腕が伸びる。あ、と黄瀬が思った次の瞬間には軽々と黒子の身体は持ち上げられていた。

細い黒子の腰を支えるように両手を添えて持ち上げている様子はもう少し年齢が違ったら兄弟か親子のようだっただろう。

「おろしてください」

「……お前いつか死ぬぞ。軽すぎだろ」

「そんなに軽いんスか?」

青峰が驚いた顔をするので、黄瀬もつい気になってしまう。女の子なんていくら細く見えたってどうしたって脂肪のつきやすい体をしているのだから見掛けよりは重いはずだ。手を伸ばすと一瞬青峰は嫌そうな顔をしたけれど、気づかないふりをして黒子の脇腹に両手を添える。

「ほっそ! 薄っ! 軽いッス!」

青峰の手が離れても予想よりも軽い黒子の身体は試合の後に抱きかかえても苦がない。それに脇腹は少し柔らかさはあるけれど内臓とか骨がダイレクトにわかるような華奢さで、少し手を動かせば背中に触れてしまえるほどだ。

「黒子っち、奢るから何か食べた方がいいッスよ」

「おろしてください。それに僕は三食食べています」

「いつまで触ってるんだよ」

睨まれた上に青峰に低い声で脅されて、渋々黒子をそっと下ろす。かがんだ体勢のせいかふわりとかすかに鼻腔をくすぐったのは黒子の髪の匂いだろうか。冷静に考えればシャンプーの類なのだろうが甘ったるくないのに爽やかで、思わず心拍数が上がってしまう。

「寄り道するぞ、テツ」

「ダメです、学校に真っ直ぐ帰ります。報告しなかったら怒られますよ、青峰君」

「んじゃ学校に寄った後でいい」

「僕は真っ直ぐ帰りたいんですけど」

「黄瀬が奢ってくれるってよ。お前の好きなシェイク、こないだ特売期間終わって値段倍に戻ったよな」

「パスのお礼に何でも奢るッスよ!」

「今月、新刊いっぱい出るから小遣い危ないとか言ってたよな」

「…………でも」

「黒子っち、スコアの点け方も俺まだ途中までしかわかんないッス!」

「…………黄瀬君って、案外バカなんですね。もう全部教えましたよ?」

「えー、でも途中で黒子っちいなくなっちゃったじゃないッスか。ね?」

仕事の時でさえ滅多に見せない笑顔を向けると、黒子は深く長く息を吐いた。

「わかりました。ちゃんと覚えてくださいね」

「頑張るッス!」

全く黄瀬の笑顔になんか興味はない、というような黒子の態度になんだかやる気が満ちてくる。色んな意味で新鮮で、すごく楽しい。

「そういやお前、なんでテツのこと呼び方変えてるんだよ。試合前と違うよな」

「気のせいッスよ」

にこりと笑って青峰の嫉妬をかわす。バスケ以外でも競うことになるとは思わなかったけれど、幸いなことに黒子は青峰にもとても態度が平坦だ。

学校に戻ったらまずは黒子の周囲を探ろう、と黄瀬は目標を設定した。




















半年後くらいの後日談








居心地が悪そうにしていた黒子が突然Tシャツの襟から手をつっこんだ瞬間、緑間は飲みかけのスポーツドリンクを噴出し黄瀬は悲鳴をあげた。

当の黒子は襟から鎖骨をいつも以上に見せていることにも、隣に立っていた黄瀬がしゃがみこんで刺激的な映像を見ないように配慮したことにも気づかずにごそごそと手を動かして何事もなかったかのように手を戻した。

「……いきなり何してんだよ。背中でも痒いのかよ」

「いえ、ちょと。肩紐が落ちたので」

「は?」

「直しただけです」

「ふーん?」

よくわからない、という顔をしている青峰をこれほど羨ましいと思うことがあっただろうか。いや、ない。

赤司の「自覚を持つためにも形から入れ」という命令によってTシャツの下にブラかキャミソールを着ることをこの夏から黒子は義務付けられた。それまでつけたりつけなかったり気分次第で、きちんと隠していたのはバスケをするときだけというから驚きだ。意外と黒子は面倒くさがる性質らしい。

三年生は夏休みが終われば引退してしまう、という理由で黒子が二軍担当から一軍へと配置を変えられた。さすがに全国大会を勝ち続けるのに桃井と他のマネージャーだけでは荷が重いというのも理由らしい。マネージャーとして優秀だった三年生の女子が盲腸で入院したのをきっかけに一足先に引退したのも、黒子が一軍のマネージャーをするようにと言われたきっかけの一つだろう。

おかげで過ごす時間が増えたのは嬉しいのだけれど色々と目のやり場に困っていた面々にとって赤司の絶対命令は有難いものだった。

相変わらず華奢で色気がないはずなのに、どうしても意識してしまうのは黄瀬だけではないらしい。

観察すればするほど青峰以外も黒子に好印象を抱いているとしか思えないし、好意と呼んでも差し支えない気がする。

当の黒子は自分がそういう対象になるわけがないと信じきっているから始末が悪い。黄瀬はモデルを続けているので別格だとしても緑間や青峰たちだって女子からは相当な人気を誇っているのだ。彼らが黒子に気安く話しかけるのはバスケという共通項があり他の女子と違って女子扱いされないからだと思い込んでいるらしいが、大きな間違いである。

自覚を促す、と赤司が決めたことで黒子は少しずつ黄瀬たちとの距離を置きつつあるのだが残念ながら今のところその努力は報われていない。何故なら当の黄瀬や青峰たちは黒子が離れることをよしとしていないからだ。

もうパスは出せませんし、と体格の差を自覚して寂しそうに笑う黒子は本当にただバスケが好きなだけだと知っている。

これはとても不毛な恋だ。

少なくとも黄瀬にとっては、とんでもない矛盾を孕んでいる。

黒子がバスケに対して本気であればあるほど、黄瀬は興味を惹かれた。それは裏を返せば、黄瀬に対して興味を示さない黒子に惹かれたということでもあるのだ。

バスケが好きな黒子は、自分たちを見ているようで見ていない。

叶わない恋だなんて虚構の物語の中にしか存在しないと思っていた黄瀬にとって今のもどかしい現実というのは楽しくて苦しいものだ。

黒子は黄瀬が入部する少し前までは本気で自分が男子ではないことを悔やんでいたらしい。女子であることを恨んだり卑屈になったりこそしないけれど、眩しそうに青峰たちのプレイを見ている眼差しはただ純粋にバスケを好きだと物語っていた。

ようやく女子らしくなりつつあるのは98%が桃井の努力の賜物である。

だが黒子が女子らしくなればなるほど、自分たちと距離を置こうとするのは納得できない。そんな風に思って欲しくなんかないのに、むしろ女の子たちは傲慢なくらい思い込みが激しい生き物のはずなのに、と黄瀬は自分に言い寄る女の子たちとの差に悲しくなる。

桃井も色々と思うところはあるらしが、とりあえずは黒子を青峰たちから引き剥がすことを優先しているようだ。

彼女は彼女でちょっと黒子を好きすぎて危ないのでは、と黄瀬はこっそり思っているのだがそこは同性の特権だ。けして黄瀬や青峰が足を踏み入れることのない領域まで桃井は嬉しそうに黒子を連れまわしているらしい。

とはいえ、黒子は色々と制約が多いことにうんざりしている気配を見せることが多い。

例えば、練習中に男子部員が汗を拭くと「気楽でいいですね」などと呟いたりする。男子部員はTシャツしか上に着用しないのが当然だし練習中に汗を拭うのに悠長にタオルなんか使っていられない。そのため袖や裾で拭くのは珍しくもない光景なのだが、黒子にとっては気楽に見える羨ましい光景だという。

赤司の「華奢で軽いわりに意外とある」という胸の大きさを青峰も黄瀬も未だに正確に知ることは出来ていない。何故赤司がそれを把握しているのかも知らないままなので非常に悩ましい日々を送っているのだ。

桃井のようにはっきりとわかっている体型なら気まずさもなく最初からそういうものとして扱えたのだが、黒子は女子であるという認識に欠けるところがある、喋り方がいけないのか存在感の薄さが悪いのか、それとも何度か途中で邪魔になったと言っては短くしてしまった髪のせいなのかはわからない。

中途半端な長さは邪魔になる、という単純明快な理由で何度も挫折しては白いうなじを晒していたのに、伸ばしてよ、という赤司の命令で今ではうなじが見えないほどには髪が伸びた。不思議なものでそれだけで女の子らしさが増すのだから人間というのは怖いものだ。

「黒子っち、そういうのはせめて人のいないところでやって欲しいっす」

「すいません、気になってしまって」

黄瀬が返す言葉に困っていると、呆れたように緑間が黒子の頭に手をおいた。叩いたり小突いたりなどはしないけれど、こういうときはたいていお説教モードだ、と黒子はため息をつく。

「少しは人の目を気にするべきなのだよ」

「申し訳ありませんでした」

感情の全く篭もっていない棒読みの台詞に緑間はこれみよがしにため息をつく。

「これからますます暑くなるのに先が思いやられるのだよ」

「黒ちん、同じことを桃ちんがしたらどうする?」

「桃井さんには無理ですよ。そもそも落ちることもないでしょうし」

「いくら黒ちんがささやかにしか胸がなくても、鎖骨とか見せてくれるともっと見たくなるんだよね。ねー、見ていい?」

余計な一言はともかくとして、紫原の発言でようやく黒子は何故周囲が口うるさいのかをようやく理解したらしい。

面倒だな、という表情は一瞬で消え去り、今度は少し感情のこもった「すいませんでした」という言葉になった。

「黒子っちを責めてるわけじゃないっすよ! あ、でもたまに白いTシャツの時は下着の色考えたほうがいいっす、黒いブラだと透けて見え」

ごす、という鈍い音がして黄瀬が床に倒れた。容赦なく蹴り倒したのは青峰で、黄瀬に向かって手にしていたペンを投げつけたのは桃井だ。

「……気をつけます」

さすがに黒子の顔色も変わり、あー睨まれてる、と床に這い蹲りつつ黄瀬は黒子と視線を合わせた。

「ごめんね黒子っち」

「いえ。すいませんでした」

可愛いしもっと見たいけれど、でも他人には見せたくない。

それがキセキの世代と呼ばれる五人の共通認識で、こうして未だに居残り練習する理由でもある。

「……マネージャー用のジャージでも作ろうか。濃い色で」

「赤司君、私カタログ持ってくるね」

赤司の提案に桃井は力強く頷く。

「黒ちんって今何センチー?」

「聞いてどうするんですか」

「だってジャージ作るんでしょ? サイズは?」

「……Sですけど」

それが何か、と冷たい表情をする黒子に紫原はへらりへらりと微笑んで楽しそうに近づく。

「やっぱり黒ちんって小さいよね」

「これでも今年は3センチ伸びてます」

「伸びてないだろ。ってかSってマジかよ」

紫原が黒子の腕を掴むより一瞬早く手を伸ばしたのは青峰だ。床に座り込んだままだった黄瀬は目の前で黒子が後ろに立つ青峰に引っ張られる光景を見ることになる。

青峰が黒子を後ろから引っ張った、というだけの動作ではあるがTシャツの背中を掴んで後ろから引っ張ると、当然布は後ろへと移動する。

黒子の身体の前にあるTシャツの布地が後ろに移動すると、身体の曲線が曖昧なものではなくなる。

ただそれだけの現象ではあるのだが、黄瀬は手近にあったボールを思わず全力で青峰に向かって投げつけたし黒子の斜め前に立っていた緑間は青峰を怒鳴った。

後ろにいた青峰は残念ながら公開された黒子の凹凸を知ることは出来なかったのだが、よろめいた黒子の体を抱きしめつつ黄瀬のボールを避けるという見事な技を披露した。

「あぶねーだろオイ」

「今のは俺、悪くないッスよ!!」

「いい加減にするのだよ!!!!」

「おいで」

ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた黄瀬や緑間と青峰がにらみ合っているのをよそに、赤司は静かに黒子を手招きする。

争いに巻き込まれるのはごめんだ、というように黒子は青峰の手からするりと逃れると赤司の傍に立つ。

「すいません、自主練習の邪魔をして」

「いいよ、休憩みたいなものだし。そっちの端にいて、邪魔しないようにね」

「はい」

「あ、ずるい」

紫原の言葉に争っていた三人がぴたりと静まる。視線の先では赤司が自分のジャージを黒子に着せている光景が繰り広げられていた。

「黒ちん俺のも着る?」

「暑いからいいです。それに紫原君のは大きすぎますし」

「俺くらいでちょうどいいよね」

微笑む赤司に、理想的な彼氏彼女の身長差を考えれば赤司はもう少し身長を伸ばさなければいけない、と教える勇気は黄瀬にはなかった。